旅の途中にちょっと一息つける峠の茶屋のようなWEBマガジン

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ドラブっくchaya

第11号 連載エッセイ 遊牧運転もラクじゃない!

  • 第11号(2013年8月発行)
  • 運転上手と言わせたい
  • 運転「上手い人」と「そうでない人」の分かれ道チェック!
  • 運転が上手いということ
  • ペーパードライバーからの<br />脱出、なるか?
  • いろんな乗り物の「運転」を取材して
  • 女子会大放談「しょっぱいドライバー撲滅宣言」
  • 潜入!高速道路のヒミツ
  • 遊牧運転もラクじゃない
  • プロジェクトメンバーレポート
  • Chayaだより
  • Chaya川柳 Chaya川柳募集中!今回のお題は「夏バテ」
  • BACK NUMBER 過去のChayaはこちら
  • 次回は9月20日更新 Chaya川柳優秀作品を発表お楽しみに!
  • 編集趣意

5年の海外放浪生活を経験したルポライター近藤雄生によるドライブエッセイ。 第11回 「つい、こすってしまう(汗)」習性について考えた

 「今回は、運転の上手い下手の違いがテーマなんだって。自分の体験から書こうと思ってるよ」
 そう妻(京女です)に話すと、こうひと言。
 「下手、って方の体験やんな?」
 いつもながら手厳しい。ストレートに言われると若干むかっとしてしまうが、確かに自分は下手なのかもしれないとこの頃自覚し始めた。大きな事故こそないものの、最近ほんとによく車体をこするのだ。しかも自分の車ではなく、妻の実家の車だからまたなんとも肩身が狭くなる。
 もちろん、自分の車じゃないから適当に運転しているというわけではない。むしろひとの車だからこそ慎重に運転しているつもりである。しかしなぜかこすってしまう。

 一番最近こすったのは2カ月ほど前のこと。少し道幅の狭い通りのコインパーキングにゆっくりバックで入ろうとしたら、後ろから車がやってきた。とりあえずその車を通してから落ち着いて駐車しようと、バックのままパーキングの敷地内に車体を半分だけ入れて、車が通り過ぎるのをしばらく待った。そして車がいなくなったあと、そのままさらにバックして駐車しようと試みた。
 そのとき、少し左の壁に寄りすぎているとは思っていたが、サイドミラーを見る限り行けそうだった。ゆっくり行けば大丈夫だろう。数か月前、狭い路地で車体下方を傷つけて義父に謝ってからまだ日は浅い。おれも何度も同じことをするほど馬鹿じゃない。人間は学習するからこそここまでの文明を生み出せたのだ。

 よし、大丈夫だ、ゆっくり行くぞ。ギアをリバースに切り替える。ブルルルルー……。よし、よし……。
 「ガガガ!」
 一瞬でぼくは青ざめた。聞きなれた音がした――と思ったときはもう遅い。
 あ、やべ! そして後ろから妻の声が追い打ちをかける。
 「ああ~あ~」

 なんでだよ……。ミラーを見る限り何もなかったはずなのに。そのまますぐにほんの気持ちだけ前に戻り、車を降りて確かめた。助手席側のドアに10センチほどの黄色い線が一直線に走っている。見るとそこには、低い黄色のポールがある。それが左側のドアをこすっていたのだ。車高が高かったため、ポールはミラーに映ってなかった。
 「なんでこんなところにこんなポールがあるんだよ……。京都お得意の〝いけずポール〟か?」
 ひと言悪態もつきたくなる。あああ、と意気消沈して傷口に触れる。するとそのとき、光が差した。
 「あれ、これ、奇跡的に全く凹んでないっぽいよ」
 こすった線がきれいにくっきりついているのに、ただペンキが付いただけかもしれなかった。すぐに修理屋さんに持っていって磨いてもらうと、やはりそうだった。傷は跡形もなく消え去った。別の小さなパーツが壊れていて交換する必要があったけれど、結局は5,000円ほどで全く何も跡を残すことなく元に戻った。こするたびにお世話になっている修理屋さんだが、このとき、つなぎを着たおじさんがまさに神様に見えていた。

 この顛末を義父母にすると、義母は笑いながら言った。
 「まあ、要するに下手ってことよね」
 間違いない。
 これまで、自分が運転が下手だという自覚は全くなかった。しかし、そろそろ認めざるを得ないほど、実績が揃っていた。
 いったい何が悪いのだろう。

 「予測する力、想像力やな」
 運転の上手さってどこにあるのだろうかと義父に聞くと、ちょっと考えてからそう言った。というのも、義父は同じ車に乗りながら、しかも自分よりだいぶスピードを出しているように見えるものの、狭い道でも全くこすったりする気配がないのだ。勝利を確信した走りというか、いちいち確認しないでもぶつかりっこないじゃないか、という自信がみなぎっている。もっとも義父も、若い頃にはバックしながら車輪を溝に落としてしまった経験もあるという。
 「年齢もあるやろうな」
 長年の運転経験が、自信と確信を生み出している。おそらく見た瞬間、道幅と車幅の関係がイメージでき、行けるかどうかがわかるのだろう。そして行けるのであれば、速く行こうがゆっくり行こうが関係ない。

 一方自分は、狭い道は極力避け、どうしても必要がある場合しか通らない。そのうえ通るときは細心の注意を払っている。もちろん速度も相当落とす。しかしいつも思わぬところで何かにぶつかる。要するに道幅と車幅の関係がイメージできず、その上周りが見えていないのだ。そんな自分がわかっているからビクビクする。そしてビクビクするから落ち着きを失い失敗を犯してしまうのかもしれない。

1.熱血な(?)友人のトンデモ体験が教えること

 そんな自分と義父の違いについて考えたとき、ふと思い出したのが、ある友人の話である。
 彼は、長年知っている友だちだ。
 結婚なんて興味ねーよ、と言いそうな雰囲気とは裏腹に、大学を卒業してしばらくすると彼は早々と結婚した。しかしそれから数年後、これまたスピーディに離婚した。原因は奥さんの不倫だった。ふざけてはいるが案外女性関係には真面目だったその友人は、不倫発覚の翌日には一人で奥さんの実家へ行き、向こうの両親に「お世話になりました」と挨拶に行ったという。奥さんの反省と懇願もむなしく、そうしてあっという間に彼は離婚の道を選んだのだ。

 それからどれくらいたったときのことだろうか。ある日、こんな事件が勃発する。
 ジョギングをしていた時、彼は奥さんの不倫相手だった男が暮らす高級マンションの前を通りがかった。相手の男も、その部屋も知っている。ふと、「あ、ここなのか」と彼は思った。すると突然、猛烈な怒りが沸き上がった。
 ジョギングを中断し、そのまま彼はマンションの中へ駆け込んだ。そしてあっという間に部屋の前へとたどりつく。呼び鈴を鳴らす。ドアが開き、男が出てきた。

 「○○の元夫だ」
 友人は名乗り、怒りのボルテージを上げながら、何を思ったか土足のまま中へと入った。すると、部屋の男が言った。
 「おい、靴、脱げよ」
 当然だ。確かに靴は脱いだ方がよい。
 しかし「その言葉にカチンときてね」と友人はぼくに言った。そして彼は、その勢いで男をボコボコにしてしまったのだ。友人はそもそも強い男だったが、相手も体格のしっかりしたラガーマンだったという。本気を出せば負けてなかったはずである。しかしそんなことは関係なく、友人は相手を圧倒してしまったのである。

 しばらくすると、男は友人に懇願していた。「許してください」。すると友人はこう言った。
 「よし、じゃあ、最後にケリか拳かどっちか選べ。それで終わりにしてやるよ」
 「ケリでお願いします!!」
 そうして友人の怒りは、ようやく終息を迎えたのであった。

 しかしそれから1年もしたころだっただろうか。妙な噂が耳に入った。女性関係にはしっかりしていたはずのその友人が、どうもバツイチになってから女遊びにハマっているらしいというのである。本人に確認すると、確かにそれは本当だという。
 それまでの硬派ぶりが信じられないほど(いや、それだからなのかもしれないけれど)、危険な橋を渡ることに身をやつしているようだった。あれよあれよという間に、女性ネタがやたらと豊富な男になっていき、そのうちいよいよ、自らが痛い目に遭った(というか遭わせた?)不倫の世界へも足を踏み入れてしまったのだ。そして「3歳までは記憶に残らないから」と、旦那が海外出張中の女性との子連れ不倫旅行を楽しげに語る最低な男になっていた。

 そんな友人に、ぼくは一度聞いたことがあった。
 「もし、相手の旦那に見つかって殴り込みに来られたらどうするよ?」
 繰り返すが、友人はそもそもかなりケンカが強い。誰が来ても負けない自信があるんじゃないかと思っていた。もしかして哀れな旦那までボコボコにしてしまうのだろうか。しかし彼は、迷うことなくこう言った。
 「そりゃ、絶対おれがやられるよ。どんなに自分の方が強くてもね。そういうときはもう技術的な強さは関係ないんだ。本気で怒ってる方が絶対に強い。後ろめたい方は勝てないんだって」
 なるほど、ケンカとはそういうものなのか。双方の立場を経験している男の言葉には説得力があるなあと、妙に納得した覚えがある。
 友人は幸い、殴り込みに来られることはなかった。その前に彼は手を引いた。
 もう10年ほど前の話である――。

 ……え、車は? 運転は? 全然関係ないじゃないか。そんな声が聞こえてきそうだ。
 が、じつはこれが大いに関係あるのである。
 つまり、結局は気持ちの問題だということだ。
 「本気で怒っている方が勝つのがケンカ」だと友人は言った。とすれば、「大丈夫だと信じて一気に行くとぶつからないのが運転である」とは言えないか。
 義父の運転と自分の運転を比べると、まさにそんな気がしてくるのだ。自分に足りないのは大丈夫だと一気に行けるメンタリティなのではないだろうか。

 しかし、改めて書いてみると、その論に、自分自身若干の異論がないこともない。そこで、いつものことながら、妻に確認をとってみた。
 「これって全然関係ないかな? 関係あるよね?」
 「うーん、その二つが関係のあるかないかというより、そもそもいつもこするとき、『大丈夫だ、行ける』とか言いながら自信ありそうに走り出したあげくにこすってない?」
 「……」

2.運転の神様は「毎日乗れば」と言うが…

 そう言われれば、確かにそうかもしれなかった。黄色の〝いけずポール〟のときもそうだった。また、思い出すと、免許取りたての学生時代、携帯、パソコン、地図を同時に開いて運転して追突したのも、まさに「それでもオレが事故なんて起こすわけない」という、根拠のない自信が暴走した結果であった。
 自信がないからこすったりぶつかったりしていたわけではなさそうだった。妻にそう指摘されて、ぼくはようやく気が付いた。
 友人の不倫まで持ち出して、「ようは気持ちだ」などと書くことで、ぼくは自分の技術力のなさを巧みに隠そうとしていたのかもしれない。
 大丈夫だと思って走れば大丈夫。そんなことはあるわけがない。ぼくと義父には確固たる技術力の差があるのである。それだからこそ、義父は、大丈夫だと確信を持って一気に行くことができるのだ。いま自分が、「大丈夫だ」と細い道をスピード出して走ったら、きっと車体をこするだけではすまないことになるのだろう。

 妙な遠回りをしたあげく、ようやく金言にたどり着いた。
 「運転に王道はなし」
 じつに当たり前の面白みのない結論かもしれない。しかし、まさにそれ以外にないのだろう。日々運転あるのみだ。そうすることでしか、技術は決して身につかないし、予測力も手に入らない。妙な自信を持つのが一番よくない。何よりも大切なのは、確固たる技術に違いない。

 そう考えて、これからも自分はできるだけ運転にいそしむしかないのだろう。しかし、そのために自分は、あと何度、義父の車を傷つけることになるのだろうか……。次回はもう許してもらえないかもしれない。そうすればぼくは、技術を向上する機会すらも失ってしまうことになるかもしれない。というか、たとえ許してもらえたとしてもこれ以上傷つけるわけにはいかないのだ。

 「だから、私たちも車、買おうさ。そしたら傷つけてもそんなに気にならへんやろうし」
 そう妻は言う。本当だろうか。妻の目が、義父以上に気になる可能性もなきにしもあらずである。

今回の教訓 「乗れば乗るだけ上手くなる」

プロフィール ライター 近藤雄生(こんどう・ゆうき) 1976年、東京都生まれ。大学4年生の時に旅したインド、バングラデシュでの経験を機にルポライターを志し、2003年6月、妻とともにオーストラリア・シドニーへと旅立つ。その後、世界各地で取材・執筆活動をしながら、5年の海外放浪生活を経て、2008年10月に帰国。現在、京都に在住しながら、紀行文やノンフィクションを中心に執筆する。今年の4月には次女が誕生し、レインボウ・パパ(二児の父)に。著書:『中国でお尻を手術。』 『遊牧夫婦』(以上、ミシマ社) 『旅に出よう』(岩波ジュニア新書) WEBサイト:http://www.yukikondo.jp/
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