旅の途中にちょっと一息つける峠の茶屋のようなWEBマガジン

DRIVE & LOVE

2012 第1号 連載エッセイ 遊牧運転もラクじゃない!

  1. 1.楽チン席は、英訳するとアブナい名前だった!?

     助手席のことを英語で"Shotgun"という。散弾銃のショットガンである。なぜだろうか。
     これはアメリカの西部開拓時代に、馬車の運転席の隣にはショットガンを持った人物が用心棒として乗っていたことに由来するという。馬車の運転手は手綱を握ってなければならないため、盗賊や敵が襲ってきても十分に応戦ができない。そのためにどうしても用心棒が必要になるというわけだ。

     いまのご時世、運転中に盗賊や敵を恐れて用心棒をつける人は極めて少ないだろうが、その名前だけは残っている。その上、以前物騒だったこの席は、欧米ではいまは特等席ということになっている。聞くところによれば、一部では「ショットガンルール」なる習慣も生まれたという。すなわち、ショットガンに座る権利を得るのは、最初に「ショットガン!」と叫んだ人だとかなんとかいう、なんのひねりもない乗車時のルールである。
     これは何を意味するかといえば、つまり英語圏では、みな助手席に座りたいのである。助手席こそが、乗客が得うるベストな席であると考えるのだ。日本ではエライ人は後ろに座って、下っ端が「ヘヘイ、わいが助手席に座りマス!」と来るのが一般的とされるのに対してどうも逆なようなのである。

     助手席のほうがいいというのは、旅をする中で自分も経験上感じていた。中国、モンゴル、キルギス、ウズベキスタン、ミャンマー(ビルマ)など、いろいろな国や地域で車をシェアして乗るという経験をしてきたが、そういうとき、明らかに助手席は特等席であった。金を払う場合、助手席は後部座席よりも値段が高いことすらあったように記憶している。
     それはそうである。客をすし詰めにして走る車の場合、後ろはキツく詰めさせられるものの、助手席は基本的に1人が座るだけだからだ(膝に子どもを抱えてくれ、といわれることはあるが、これは後ろの席でも変わらない)。いくら混もうが助手席の人はどこ吹く風、優雅なドライブを楽しめるのだ。助手席の方が危ない? いや、こういうワイルド系交通手段においては、そもそも絶対的な危険度が高すぎるために前後の席の安全性の違いなど、大したことではないのである。
     たとえば、中国で乗った4,5時間のすし詰め小型バンの移動では、ぼくと妻の2人に対して後部座席が1席のみ与えられ、運転手は一言こういった。「一人が膝の上に載ればいいじゃないか」。その状態で爆走し、途中決壊した川の中まで走った挙げ句エンジン音がおかしくなり、夜になると、真っ暗闇の中、故障したヘッドライトが点いたり消えたりしながら、目的の町まで走り抜いた(街灯などないので、ライトが消えると文字通り完全な闇になった。でも、走る)。

     モンゴルで23時間に及んだバン(ロシア製)の旅でも、同じく悪路を激走した。途中、真っ暗な夜中に、悪路の山道で降ろされて「ここは各自自分の足で走ってくれ」といわれて走らなければならなかったり、無理して川を渡ったら深すぎて車内が半分水没したり。その上、後部座席のぼくの膝の上では少年が寝ている……。
     前回書いた居眠りチベット30時間・高山病の旅もしかりだが、そんな危険に満ちた交通事情は決してまれなことではなく、こういう場合、危ないのはどこに乗っていても全く同じなのだ。とにかく、こんな移動においては危なさは当然のことであり、ちょっとでも快適な場所に乗りたいという思いの方が圧倒的に強くなるのだ。

  2. 2.「ワナビー(wanna be)助手席」を夢見たガキの頃。

     そんな経験を繰り返していたせいか、自分も明らかに、後部座席に比べて助手席の方がいい席であるような気がしている。いや、それは旅の経験によるものだけではないかもしれない。古くは幼少期の経験にもさかのぼる。

     幼いころ、助手席はオトナが乗る席だというのは当たり前のように思っていた。母親が運転すれば父親が助手席。父親が運転すれば母親が助手席。子どもたちは十把ひとからげな感じで後部座席にずらりと並んで座らされる。「前の席は、子どもには危ないのよ」という言葉に、確かにそうかもと納得しながらもどこか腑に落ちず「やっぱりベストな席はオトナがゲットするわけだ。いつかオレも立身出世して助手席に」と大志を抱いたものである。
     しかし、年も重ね身体もデカくなり、念願の助手席に座れる機会が増えてみると、じつは「エライ人は後ろに座るもんだ」というではないか。助手席は助手の席でいろいろと世話を焼かなければならない。しかも事故を起こしたときの死亡率も高くて危ない。エライ人に座らせるもんじゃない、というわけだ。

     言われてみれば納得もできるのだが、どうも釈然としない。しかも、たとえば5人でセダン1台に乗ったとすると、明らかに後部座席はきつい。それに対して、広々として景色もいい助手席に一人乗っている人物は明らかにエラそうな雰囲気ではないか。だからいまでも、目上の人などがいるときに、「助手席にはぼくが乗ります」と言っていいものやらどうなのか、と悩んでしまう。「ぼくが助手席に」などというと、まるでアメリカで「ショットガン!」と叫んでいるような気持ちになるのである。

     前がベストな席なはずなのに、日本ではなんで助手席なんて言い方になったのだろう……。ふと、そんな疑問がわいてくる。
     そして調べてみると、意外なことが判明した。
     この言葉もまた、昔の名残だというではないか! その昔、まだ車なんて一般人が持てるものではなかった時代、タクシーには、お客さんの乗降の手伝いをする「助手さん」が運転席の隣に乗っていたらしいのだ。着物姿の人が多かった時代は、車に乗るのも一苦労だ。だから確かにそういう人が必要だったのだろう。その助手さんが乗るから、助手席なのであり、助手さんが必要なくなったいまも、その言葉だけが残ったというわけである。
     これは重要な事実だ。つまりいまは、助手席に乗ったからといって何も助手的に振る舞う必要はないのだ。助手席の「助手」はあなたを指しているわけではないのである。

  3. 3.「オレの運転が信用できないのか!?」

     そこで今回のテーマ、「助手席の心得」である。果たして「心得」が必要なのか、というところまで意識はたどり着く。

     繰り返すが、あなたが助手なわけではないのである。すなわち、無理に助手としてあくせく働こうと思う必要はないのだ。気遣いも必要以上にすることはないはずだ。
     しかし現実はそんなにシンプルには進まない。助手席の人間は無意識のうちに「助手力」を発揮したがることがある。

     「うわ、スピード出しすぎやし! ほら、信号、赤になるで! 危ない!」
     助手席からなんだかやたらと、そんな「アドバイス」を放つ人がいるが、これは最悪である。ぼく自身、こういう言葉にはかなりイライラさせられる。
     長年一緒に旅を続けてきた妻もまた、ときにこういうことを言うタイプであるが、そのたびにぼくは軽く逆ギレしたりして険悪な雰囲気になる。そんなことはわかってんだ、いや、絶妙な計算の上でのこのスピードなんだ、このタイミングだったらまだ十分信号をクリアできるんだ、おいおい、そんなこと言いつつがっつり寝ちゃうのかよ……などと言いたくなってしまうのだ。その上、余計なことを言われるとむしろ動揺して手元が狂いかねないのである。

     つまるところ、運転手であるぼくはこう言いたいわけだ。「おれを信頼してないのか」と。だがそれに対して妻は、こう言うだろう。「だって、前に事故ってるやん。それにたまに信号で無理して交差点内に取り残されてヒンシュクかってるやん」。いや、確かに、そうなのだけど……。

     この問題は、もはや運転を超えて人生全体に通じるところがある。運転を通じたこのやりとりは、ある意味、妻と自分の関係そのものともいえるのである。「信頼してほしい」「いや、できひん」みたいな……。自動車に同乗するというのは、5分後に一緒に死ぬかもしれないというある種の極限状態である。極度の緊張感がみなぎるその中で、運転席と助手席の間には、二人の人間関係の縮図が表れるのである。

  4. 4.「信じる」「求めない」もはや、仏教かもしれない。

     助手席の心得を考えるとき、そんなことにこそヒントがあるような気がする。助手席の心得とは何なのか―。
    すなわちそれは、運転手を信じることである。

     と、独断と偏見で断言したい。そして個人的な希望としても、信じてください、とお願いしたい。助手席から助手力を発揮しても、もはや運転に対してなせることはほとんどない。余計なことを言ったらむしろ運転手の気を散らすのみ。これはもう、信じるしかないのである。運転手に対して、あなたに命を預けましたよ、という意志を明確にするべきなのだ。

     一方、助手席に座っている人が助手でないことを考えると、助手席も運転席も対等な関係であるといえる。助手席に運転手への心得が必要なのであれば、運転手にも助手席への心得がいるのではないか。
     では運転手の心得とは何か。それは助手席に多くを求めないことである。「おい、寝るなよ!」とは言わない。食べ物を運んでくれるのを当然のことと思わない。そこにいるのはあなたの助手ではないのだから。
     助手席は、信じる。運転席は、求めない。それがきっと、両者の関係をもっとも円滑にし、しかも運転を安全かつ快適にするような気がする。

     ただその上で、助手席の人は、運転手が任務を無事遂行できるように、あくまでも自主的に、相手を信頼した上で地図を見たり、ポテトチップスの袋を開けたり、ガムの包みを取ったり、寝ないようにしたり、ということを心がけるのがよいのではないか。あくまでも自主的に……。ああ、自分は早くも運転手の心得を守れそうにないことに気付かされる。とすれば、助手席の心得が守られることもそうそうないかもしれないな、と思わざるを得なかったりするのである。

  5. 5.「助手席をめぐる問い」は終わらない…。

     ……と、本当はここですっきり終わるはずだったが、書き終えた後に、自分が思わぬ誤解をしていたことに気付いてしまった。日本では「助手席=下っ端」と思い込んでいたが、ビジネスなどで、目上の人やお客さんが運転する場合は、助手席が一番上座になるというではないか! ネットで調べると、ビジネスマナーとしてはもはや常識かのように多数の就職サイトやマナーサイトに書いてある。会社勤務経験がないまま遊牧ライフを謳歌してきてしまった自分には全く未知の領域だった。そうなのか。なんだか釈然としない不可解さの理由が少し分かった気がする。しかし、助手席は危険だから下っ端が、という話はいったいどうなるのだろう。うーん……。

     ん? もしかするとこういうことだろうか。目上の人やお客さんが運転している場合、残りの乗客中最もエライ人が助手席に座るというのは、つまり、運転手となっているエライ人に対して、残りの連中から一番エライ人を隣に「差し出す」、ということではないのだろうか……。危険である助手席にエライ人を座らせることで、「何かあった場合には私もお供させていただきます」と、もっとエライ人である運転手に対して一蓮托生感を出すというか。
     そうだとすれば、じつに日本らしい。で、本当にそうだとすれば、やはり助手席は悪い席ということになる。

     しかしなんなんだろう、助手席のこの奥深さと不可思議さは……。

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2012年 第2号
助手席の作法
先生教えて! 5つのこころえ
助手席円満グッズ
ドライブミュージックへの想い
助手席失敗談・おもしろエピソード
連載エッセイ 遊牧運転もラクじゃない
潜入!高速道路のヒミツ
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